たまきはる命に向かふ我が恋 四
次に目覚めたのは、皆が寝静まった夜中のようだった。
熱を出したカヤナを心配して何度かセツマが来てくれた気がするが、頭が朦朧としていたため、あまり記憶にない。少し身動きすると、やはり節々に怠さが残っていて、この風邪を直すにはあと一日はかかるだろうと溜息をつく。
熱のせいか喉が渇いている。のろのろと身を起こし、従者が寝台の側のテーブルに用意してくれた水差しをゆすってみたが、ほとんど空だった。喉の渇きを覚えるたびに寝ぼけながら飲んでいたのだろう。自分で汲みに行くために、しんどい身体を寝床の外に持っていき、水差しを持って廊下に出た。周囲は暗闇で、壁にある蝋燭も全て消灯されている。廊下に連なる大きな窓からは、ルアの明かりが差し込んでいた。どうやら昼間の雨は上がったらしい。
城に仕える人間たちは、城から渡り廊下で繋がる屋敷に男女別に暮らしている。自由な寮生活といったところで、一応食堂や洗い場などはあるが、城では様々な家柄の人間が奉仕していることもあり、各々の生活様式を守ろうという取り決めが内部にあるようだった。
自立していない子どもたちにはある程度共通した規則が必要ということで、カヤナやイズサミの年齢の者は、ナオツの特定の教育者たちに面倒を見られている。だからこそカヤナは束縛が嫌で、しょっちゅう屋敷を抜け出してはナオツの教師たちを困らせてセツマに呆れられているのだった。
足音を立てないように給湯室の前まで来たとき、いきなり自分の名で呼び止められて、カヤナの心臓は跳ね上がった。振り返ると、誰もいないと思っていた廊下に一人の少年の姿。
「イ、イズサミ?」
一体どうしてこんなところにいるのか問う。イズサミはひどく心配そうな顔つきになってカヤナに近寄った。
「カヤナのことが心配で、全然眠れなくて……」
「はあ? お前、ここは女子寮だぞ。見つかったらまずいんだからな」
ひそひそ声で話しつつ、カヤナはとりあえず給湯室に入り、そこにある水がめから水差しへ中身を注いだ。用事を終え、仕方なく来いと先導すると、イズサミは当然のように後ろからついてきた。カヤナのためならこういった大胆な行動をとるのが彼の困ったところだ(人のことは言えないが)。
彼の前をすたすたと歩きながら、カヤナはかなり狼狽していた。イズサミが規則を破ってまでここにやって来たことに対する呆れもそうだが、それ以上に、昼間あんなことをしたばかりの男性と二人きりになることに、羞恥が溢れ返ってどうしようもないのだ。隣に並んで歩けないのは顔を見られないからで、いま背後にイズサミがいるという事実だけで思わず叫び出しそうになる。
カヤナを心配して女子寮に乗り込んできたイズサミに帰れとも言えず、仕方なく彼を自分の部屋に通した。セツマは男性宿舎にいるはずなので来ることはないだろうが、念のため鍵をかけることを忘れない。
あくまでカヤナは病人なので、水差しの水を少し口にしたのち、イズサミにかまわず毛布の中に戻った。イズサミは部屋を興味深げに見回しつつ、近くに来ると、不安そうな目でカヤナを見下ろした。
「カヤナ……大丈夫?」
「心配するな。ずっと寝ていたから、昼間よりは楽になった」
確かに喉の痛みも少し軽くなったようだし、喋るのも楽になっている。
よければかけろと、窓際にある椅子を指差すと、イズサミはそれを持ち上げてカヤナの寝床の側に置き、そこに腰かけた。
「イズサミこそ大丈夫なのか」
イズサミは小さく笑みを浮かべて頷いた。
しばらくの寂が続いた。カヤナは口元まで毛布をかぶってイズサミを見つめ、イズサミもまた淡黄色の瞳でカヤナを見つめ返した。不思議な空気が流れていたが、嫌な雰囲気ではなかった。
イズサミは不意にカヤナの額に手のひらをそっと当てると、ああ……と落胆したような声を出した。
「ごめんね、カヤナ」
謝られ、首をかしげる。
「何がだ?」
「やっぱり、途中でやめておけばよかったかな」
花畑の、あの木の下での出来事を言っているらしい。やはりイズサミも意識していると分かってしまい、急に恥ずかしくなって、毛布の中に頭のてっぺんまでもぐりたくなったが、そうするとイズサミを不安がらせてしまうような気がして、結局そのままの状態でじっとしているしかできなかった。
イズサミは再び黙り込んだが、今度はカヤナの頭を片手で撫で、薄く微笑んだ。
「カヤナ、すごく綺麗だった」
慈しむような言葉に、カヤナは何とも言えない感情を抱いて身じろぐ。
「き、きれい……か。ありがとう……」
「嫌じゃ、なかった?」
不安げに訊いてくる。もしかしてイズサミはあの時カヤナが抵抗していたと思っているのではないだろうか? もしそうならとんでもないことだと、毛布から顔を出してかぶりを振った。
「嫌なわけがない。もし嫌だったらとっくに突き放していた」
「そう? でも少し……かなり、痛がってたから……」
それはそうだろう。カヤナは初めての経験であり、今まで誰一人としてその場所に侵入させたことはなかったのだから。母親とは不仲で、あまり女性と会話したこともなく、せいぜい図書館にある本で知識を得たぐらいだった。いざその時が来た時には不安で仕方がなかったが、イズサミが始終気遣ってくれていたので、恐怖よりも愛しい人と繋がれるという喜びの方が勝っていた。
カヤナという女は、本当に心優しい男に愛されたのだ。その真実に涙が出そうになる。恋人に触れたくて毛布から手を伸ばすと、イズサミはすかさず握ってくれた。
「……イズサミ。
私は」
契りを交わしたあの時、確かに痛みはあったが、想う男と繋がることよりも幸福なことが果たしてあるだろうか。
「嬉しかったんだ。お前と一緒になれたのが」
言葉に、イズサミは少し泣き出しそうな表情でカヤナを見つめた。
「……うん」
「なあ、イズサミ。私たちがこの先、たとえ結ばれなくても……」
指に指を絡ませ、強く握る。
「私の心も身体も、イズサミのものだ。お前以外の誰も、私を侵すことはできない。
たとえ死んだとしても」
言い切る前に、イズサミはカヤナの方へ屈み込み、額に素早く口づけをして苦しげな声を出した。
「カヤナ……死ぬなんて、言わないで」
「……イズサミ」
「もしカヤナが死ぬとしても、それはボクも一緒に死ぬときだ」
カヤナは勢いよく身を起こし、男の身体にぎゅうと強い力で抱きついた。それは、ほとんど無意識の衝動だった。イズサミの両腕もまた、カヤナを強く抱き返した。着物の上から、恋人の優しい手が背中をすべっていく。その手のひらから伝わる温もりが本当に愛おしくて、尊くて、カヤナの目に涙がにじんだ。
この美しい心を持つ男性を永遠に愛し続けたいと強く願った。
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